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2003年4月

春の夜の夢−上原まりさん 2003/4/29(火) 05:24:52
近ごろまりさん≠ニ、とみにご縁の深いこと!!。

久米川にて初体験の、素敵な隠れ家Bar「あちゃら」で、
思いがけなく豪華メンバーによる夜会の話題の濃さに感動しつつ、
迎えた翌日・翌々日と、待ち焦がれた10連休の、最初の2日間は、
予ねてから申し込んでいた【同志社女子大学 東京講座】への
参加で幕を開けました。

講座のメインのテーマは「源氏物語とその文化」。
源氏物語と言えば、大作枚数を書き上げ、それなりに
いい気になっていた卒業論文<八代集における歌枕の変遷>の
口頭試問の際、副査に「源氏物語に詠まれた和歌との比較が
落ちている」と、厳しい追及を受けた苦い苦い思い出とともに
蘇ります。が、その和歌も含め、溢れる情趣と登場人物の
細やかな心情描写とに満ちた作品には、再び五十四帖を紐解いて
みたいという意欲に駆り立てられる程の思い入れがあります。
世の中の源氏物語への関心も、時代をこれほどまでに経た今も
なお冷めることなく高く、会場となった紀尾井ホールを
多くの参加者で埋め尽くしていることにまず驚愕しました。

中古文学界の重鎮であられる
日本女子大学・学長の後藤祥子氏をはじめ、文学・史学
各界からの選りすぐりの講師による近々の研究発表と、
筑前琵琶師・上原まりさんによる弾き語り(瀬戸内寂聴訳・
源氏物語より「桐壺」と、テーマから放れ特別に、
平家物語から「祇園精舎」と「壇ノ浦」を)の時間が贅沢に
配され、いみじくも中古文学会の幽霊会員であることを、
懐かしく思い起こさせられた2日間でもありました。

上原まりさんの琵琶との出会いは、12年前に遡ります。
3週間、母校の教育実習で受け持った高校一年生の教材として、
与えられた作品が『平家物語−橋合戦』でした。
考えられるあらゆる演出を授業に試みようと、週末夜行で
京都を訪ね、宇治川周辺の景色と川の急流部をもぐって
カメラに収めスライドにし、また、千代田区の図書館で
運命的に出会ったカセットテープ−当時の上原まりさんが、
筑前琵琶を奏でつつ滅びの平家を語る響きになんとも魅せられ
これをダビングし、教室に持ち込んだのがきっかけでした。

若い人たちがこれらをことのほか喜んでくれ、
ふらりと立ち寄られた現役の日本史の先生までが、
「高校時代に僕も、こんな古典の授業が受けたかった」と
その後、感想を寄せてくれたりもしました。

久々に王朝の時代の文学と向き合い、
満たされた2日間の講座が終わりに近づくにつれ、
どうしても上原まりさんと話しがしたいと思いました。
そして叶えて頂いてしまってきました。

私の手元には、嬉しいことに、生徒たちによる当時の授業の
感想帳が残っています。もちろん上原まりさんの琵琶の
演奏テープに寄せられた反響も書かれています。
万一お話しできた時の話題にと、それら感想のコピーを
用意していきました。12年前の実習のようすを綴った
長い手紙をこれに添えて。前夜に一心に認めたものです。
主催者にお渡しするつもりでした。

ライフワークとして長く平家物語シリーズを創ってこられた
上原まりさんの、あらたなる挑戦は源氏物語だそうです。
披露して下さった、自作(曲)自演による「桐壺」は、
書き手である紫式部の魂がのり移っているかのごとく妖艶で、
どこまでも美しく……。
「琵琶の音色と私の声と、華やかな源氏物語の世界には、
合わないと長く思って来ました。でも勧めて下さる方が
あったのです」
そう少女のようにはにかみながら、凛として立つ
その上原さんの謙虚な佇まいに、打たれました。

「源氏物語の講座を、平家物語で締めくくるというのも
どうかと存じますが、雅からやがて戦の世へ突入するという
時代のうつりかわりに思いを馳せて頂き……」と一言あり、
十八番の平家物語を。
筑前の琵琶の張り詰めた調べと、
上原さんの声の重く澄んだ表情と。
骨の髄にまで迫る深い悲しみに、涙が溢れては落ちました。

……
戦終りし波の間に間に
赤き旗 赤きしるし
嵐のあとの紅葉さながらに
浮きて漂ひ
主もなきむなしき船は
あてもなく
ゆられゆられて
ゆられゆられて
滅びの海は薄紅
……

頂いた色紙には、墨で一筆
「春の夜の夢」と。

春の夜の、夢のようなできごとでございました。


マイコーチ 2003/4/16(水) 05:25:03
という名の学習教材が、昔ありましたよね、
わたしと同年代の方々!。
さんざせがんで取ってもらっていましたが、
ほとんど手をつけませんでした。
んん、進研ゼミもそんなでした。
あの教材たちは今も存在するのでしょうか。

ああ、会社推奨で思わずこの春注文してしまった、
アルクの英語教材
「ライティング・マラソン」と「文法マラソン」。
完走できないと、自己負担になってしまいます^^ゞ。
三つ子の魂百まで……にならなければよいですが。

本題は、私を支える強力なコーチについてでした!。
シゴト編のコーチの筆頭を飾る方は、私が'92年の
いわゆるバブル世代の新卒として入社した当時に、
会社の最初の配属部署で出会った上司です。

長崎の県立佐世保北高を卒業され、東大法学部を経、
ご本人曰く「間違って♂社員になってしまった」という、
私にとっては、会社員になって下さりめぐり合えたことへ、
どんなに深謝してもしきれない、なくてはならない
コーチです。

佐世保北高の後輩にあたるお二人、
作家の村上龍氏にバンダイの松永真理さん。
直接引き合わせ頂いたわけではありませんが、
強く意識するきかっけを与えてくれたのがコーチでした。

前職でのくすぶりをエネルギーに替えて、
αプラスの転職を果たせたのもコーチのおかげです。

ファイナンスの超スペシャリストであるコーチから、
同じ部署で直に指導を受けられたのはたったの9ヶ月間に
過ぎませんでした。ところがあの9ヶ月が、その後の私の
企業人として見る夢の方向性を運命付け、自覚を与えました。
絆は、コーチがソフトバンクへ、私がファーマへそれぞれ
転職を果たした今も、適度な距離感で揺らぐこともなく。

新宿花園ゴールデン街の『○羅治(わらじ)』にて、
美味なる芋焼酎を頂きながらの報告会というのも、
この11年、ずっと変わることなく続いている
やわらかな風景であり、歴史です。

愛してやまない『○羅治』さんのことを次回に!。


コーチっ !! 2003/4/9(水) 03:07:30
「イチローだって、ゴジラだって、
いいプロなのにコーチがついていますね。
ましてやふつうな私たちこそ、夫々の人生に
より相応しいコーチが必要じゃないかしら!」

松永真理さん(リクルート・どらばーゆ編集長
⇒NTTドコモ・iモードの生みの親⇒現バンダイ取締役)と
先日盛り上がったときの、松永さんの言葉です。
松永さんにも、結果として松永さんを大きく社会へ押し上げた、
仕事上の二人のコーチが居るそうです。著書にも頻繁に
実名でそのお二方が登場し、いかに松永さんへのコーチングに
お二人が力を注いで来られたかがよくよく窺えます。

私にもかけがえのないコーチが居ます。
近くを伴走してれている人もあれば、
年に一度すら会うことが叶わない人も居ます。
けれども失うことなど考えられないほど大事な、
私のコーチです。

次の機会に、具体的に。


南海の酋長ツイアビ≠フいる島へ発つ父へ 2003/4/3(木) 03:24:13
さきほど日付が変わって、父が2年の滞在予定で
サモア国へ派遣される当日を迎えた。

作品としての『パパラギ』への思い入れがひじょうに強く、
塾講時代の授業で、何度となく繰り返しこれをテーマに持った。
そんな私を知らずに、作品の舞台の当の地へ、
父が、第二の人生の一歩目を向けようとは、何という
巡り合わせだろう。

互いが避けている訳でもないが、
一つ屋根の下に暮らしているとは思えぬほど、
家族の中でも会話のない父と娘でこれまで来た。
父の職場から私の職場へのメールには、
しばしば「お元気ですか?」と一言あった。

出発を控え、それでも多くを語らないまま、
『パパラギ』が、二人を固く結んでいると信じたい。

不思議さと偶然と、運命と必然と、感謝と祈りと……。
父が、この日記の存在を知ることは万に一つもないが、
どうか、どうか気をつけて。


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